粗暴な素戔嗚尊は「天の岩屋戸」事件を起こして天の原を追放され、出雲(島根県)に降臨した。降臨とは神仏が地上に天下り、一般人となることを指すが、元が神様だけに権威や威光は超絶に高い。
平安時代から天皇の血筋の貴人が姓(源氏、平氏等)を賜って、都を離れて地方に下向することを臣籍降臨(降下)と表現されるのは、この謂れである。現在でも俗っぽい官僚の天下りなどと揶揄されながらも、成語として通用している。
彼には息子の大国主神(オオクニヌシノミコト)がいて、共に出雲の国造りに励む。八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、田畑を開墾し、山に植林し、平和で五穀豊穣、繁栄の地の開拓に成功した。
出雲は決して広い沃地でもなく、なぜ経済的繁栄を果たせたかについては、疑問も残るが、海流を利用した朝鮮との盛んな海洋交易の興隆も考察されている。
大国主神の治績を天上から見ていた天照大神は使節を送り、地上の理想郷である出雲国を譲るように大国主神を説得した。この時の使節が武甕槌命(タケミカズチノミコト)と経津主大神(フツヌシノオオカミ)であり、それぞれ鹿島神宮と香取神宮の主神とされる。

経津主大神を祀る香取神宮(香取市)

香取神宮拝殿