「あんたは、ここでいいよ」
鞍に差しておいた意義の遺品、小刀を抜いて忠邦の縄を切ってやる。
「人質が私では不足、と申すか?」
「不足だね。だって、あんたに命を預けるやつなんか、どこにもいねえじゃん」
誰も追って来ないことを確かめて、拳銃を肩から掛けた革袋にしまう。
「大塩平八郎には、三百人いたぜ」
屈辱的な言葉だ。忠邦は何とかこの若造を論破したい、と思う。
「革命なぞと申しておったな。お主のような者にはわかるまいが、この国は急激な変化は求めておらんのだ。まずは『改革』なのだ!」
「それがあんたの仕事なら、好きなだけやればいいさ」
馬を繋いだ縄を、逆手に持った小刀でバッサリ切る。
「今見せたろ? 最新の武器があれば、刀も槍も弓も役に立たないんだって。つまりは武士っていう階級もな。ちなみにオイラは百姓上がりだ」
「か、革命なぞ、この国では起きんのだ!」
「だから心配すんなって。そっちは……」
小刀を腰に差して、カイは馬に跨る。不意に決起の時の「天誅、天誅!」という群衆の叫びが耳に蘇った。テンチューテンチューってネズミかよ。あの緊張感の中で、オイラは場違いな含み笑いをしたっけな。
「そっちは、ネズミの仕事さ」
相良藩で学んだことの中で一番楽しかったのが乗馬だ。鐙に足をかけ軽く腹を蹴る。馬は待ちかねていたように走り出した。
「うつけ者。傾奇者。こ、この国の秩序が揺らぐことなぞ……永遠に来ぬわ!」
負け惜しみのように叫んだ水野忠邦のその後について記しておく。この翌年から天保の改革に着手したが、秩序を権力のみで押し付ける政策が裏目に出て三年後に失脚。老中を解任されたその日、怒りを買った民衆から無秩序に屋敷を焼き払われた。