寺坂の言葉が終わるか終わらないかの瞬間、「ガチャーン」と、けたたましい音が洗面所 で起こった。寺坂は弾かれたように立ちあがり、洗面所に走ってドアを開けた。
「あっ、怪我はしなかったか。動くな、危ないから待て」社長も驚いて飛んできた。
「おう。お嬢さん、派手にやったもんだね。まあいいだろう」
一泣きした珠輝だったが、得体の知れない男に受けた屈辱と、見えない我が身にさいなまれ、やり切れない思いで腸(はらわた)が煮えくり返っていた。洗面棚に置かれていた化粧瓶らしき物に手が触れた瞬間、憤鬱(うっぷん)晴らしにたたき割ってやろうと決心した。
(これ程の屈辱を受けたのだから、このくらいのお返しは当然だ。もうここに二度と来ることはないはずだ)
珠輝は決心すると化粧水らしき瓶を握りしめ、前方の鏡にたたき付けた。ガラスの片欠(かけら)が珠輝の顔や白衣に飛び散った。それがどんな結果を生むだろうなどと考える余裕は珠輝にはなかった。
「動くな。何もしないから心配するな」
あの時のいやらしさとは打って変わり、男は珠輝の全身に丁寧に洋服ブラシをかけた。
「服のガラスは落ちたようだな。どっこいしょ」
男は軽々と珠輝を抱え部屋に連れてくると、どさっと畳に置いた。
次回更新は8月21日(木)、21時の予定です。
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