私の近くには、エプロンも服も破れて、顔や両手、胸などが水膨れになり、ブラ下げた両手の皮も剥げて赤い血の肌が見える母が立っていました。

「どうなったんじゃろう?」

母が呟くように言いました。動く様子もありません。呆然と立ったままです。あとで、

「爆風で吹き飛ばされ、倒れて、ようやく起きたらこうなっていた」と言いました。

周りには見えるはずのない山々がすぐ近くにありました。己斐の山や二葉山、比治山などなど……。遮るものがなく、端から端まで見えるようになった街は、ぼうぼう燃えています。

そんな荒野にポツンと四角いビルが立っていました。福屋というデパートだったと思います。崩れた塀の外を焼け爛れた人達がウロウロ歩いているのも見えました。

ただ、焼け爛れたとわかったのはあとのことで、そのときは何が何だかわかりませんでした。

そこへ近くの文理科大学(今の広島大学)に勤めていた父が帰って来ました。父も上半身、顔、腕すべてが焼け爛れて皮膚がズル剥けで、一見して誰かはわかりませんでした。

「文理大のグラウンドに逃げよう」と言う声で父と判明しました。

私達家族は、早速、近くのグラウンドに避難しました。大勢の人が集まっていました。焼け爛れた両手を胸の前にたらんと垂らしている人、水膨れがやぶれて血と水が出ている人、砂まみれの人、寝転んでいる人、まるで地獄でした。

八方から火が燃えて来て、熱風が太陽のギラギラした光と共に吹きつけて来ます。

「戦争体験ピックアップ」次回更新は8月15日(金)、12時の予定です。

 

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