似たような例をあげましょう。精神疾患の多くは今でも脳の病変部位や機能異常など「客観的な異常」が明らかにされていません。しかし精神神経科医は「脳の病変部位が不明なので治療できない」とは言いません。

精神神経科医の医療は主観的症状を重視する“主観主義の医療”です。対照的に同じ脳の病気を診ていても脳神経外科医の医療は客観的画像所見を重視する“客観主義の医療”といえます。外科手術を主たる治療手段とする以上、当然の考え方といえるでしょう。

客観的身体

主観的身体に対し、私たちの心が学校の理科で、医者ならばさらに詳しく医学部で、学んだ人体を「客観的身体」と呼ぶことにします。客観的身体の名称には、個人差はありません。

解剖学者の養老孟司さんによれば、解剖学の目的は主観的身体用語によるブレを排し、身体を人為的に分割して各部に対して共通の名称を与えることです(3)。客観的身体とその異常については年々いっそう解明されつつあり、知識量も膨大になっています。

先ほどあげた精神神経科を例外に、内科から整形外科まで、ほとんどの診療科の医者は客観的身体とその異常を重視し、症状の原因を徹底的に探り出して、その完治を目指す治療を行っています。患者さんの多くもまた、自分の症状の原因である客観的異常を説明してもらいたくて病院に行きます。

健康診断や人間ドックの目的は「自分が知らない体の病気」を医者に“発見”してもらうことでもあるのです。

現代日本人は、病院に行けば必ず原因が見つかると信じているフシがありますが、残念がら「客観的原因」がわからない患者さんの方が実際は多いのです。その場合は「対症療法」を行いますが、「客観主義」の患者さんの評判は必ずしも高くありません。