千駄ヶ谷行きには、もう一つ欠かせない楽しみがあった。通りの並びにある「ホープ軒」という店名のラーメン屋である。

インターネットもなく、メディアのグルメ情報すらまだあまりなかった時代、「日常の美味しいものはタクシードライバーに聞け」と、言われていた頃。ここは確かにいつもタクシードライバーたちで混んでいた。杉田さんに連れられ、最初に食べた時の印象は強烈だった。世の中にこんなにうまいラーメンがあるのかと。

話はまたそれるが、高校生になって帰国した父と二人暮らしを始めた頃、自転車を買って行動範囲が広がり、アジア会館時代の思い出である「ホープ軒」を真っ先に訪れた。そしてその味は記憶を裏切らない美味しさだった。思い出が蘇り毎日のように通った。

当時店主は、厨房から出されたどんぶりに、ホールからネギなどのトッピングを入れて客に運ぶ係をしていたので、自然と客との会話も多かった。僕も連日通い始めたので顔を覚えられ、「毎度!」と声をかけてくれるようになった。

が、連日通い始めて数日経ったある日、店主がまじまじとこちらを見つめ、「兄ちゃん、いつも来てくれるのはうれしいけど、ラーメンばかり毎日食べてたら体壊すよ」と、忠告されて驚いたことがある。それほどのお気に入りだったのだ。

さて、話を戻す。

「今度は、テニスの試合を観に行かないか?」杉田さんからの、次の提案だ。

国内では、神和住純、坂井利郎、世界ではケン・ローズウォールが活躍した時代。田園調布駅前にあった田園コロシアムが観戦会場だ。

もちろん試合なんて観たことがなかったし、観ることが楽しいのかは瞬時にはわからなかった。でも少なくとも杉田さんと過ごす時間は楽しかったので、喜んで行くことにした。

会場は熱気にあふれ、試合は盛り上がっていた。残念なことに、誰の試合を観たのか、どんな試合だったのかの記憶はない。ただ、プロの想像を絶するテクニック、土のコートにシューズをすべらせながら打つバックハンド、全力で前進して打つボレー、ファインプレーのたびに沸き起こる拍手、臨場感は存分に味わった。そしてテニスブーム到来の勢いも体感したように思う。

 

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