10代のころ理想に燃えて甘やかに夢見ていたことは、29歳にして燃えカスばかりになり、夫となる人を現実に決めた今、野放しに広げ放題だった夢想と希望を、あさみはギュッと縮め、さらに縮こめて、手堅くひと握りにしたのだ。
「山川さんを見ていると、浮気なんかしそうもない、ってわかるでしょ。あたしをとても大事にしてくれるの。社員旅行でスキーに行くってときね、上野駅まで見送りに来てくれて『お餞別だよ』って、このぐらいの紙袋を渡してくれたの。
開けてみたら、薬や栄養剤がぎっしり入っていたの。風邪薬から、乗り物酔いの薬、ドリンク剤、消毒液、貼り薬まであったのよ。そのとき、なんて優しい人なんだろう、この人と一緒になったらきっと幸せになれる、って思った……」
理緒子は斜め下に視線を落とし、あくび代わりに超スローでまばたきした。彼女の好みでない話なのだ。
「どうしたの?」と、後ろで声がした。
「そんな寒い所で立ち話して」
山川の顔が入り口から覗いた。
「僕のシャツだったら、もう乾いちゃったよ。上においでよ。フルーツが出たから、グズグズしてたら無くなっちゃうよ。理緒子さんも上に来てくださいよ」
ええ、わかったわ、とあさみは返事して、布巾を固く絞った。ホール下のこのキッチンはホテル側に頼んでサービスで使わせてもらっているため、取り壊す寸前のように乱雑で暗くて寒かった。山川の目に、あさみの涙はわからなかっただろう。
次回更新は7月30日(水)、22時の予定です。