第四部 妹

昭和三十七年三月九日、僕たち一家は、ねながらテレビで『宮本武蔵』を見ていた。

すると母が、

「赤ちゃんが生まれる」

と言い出した。

父は急いで父の友達に電話した。というのは、そのころまだ、家には、自動車なんかなかったので、自動車を持っている近くの友達に前もってたのんであったのだ。

母を病院において来た帰り(まだ、急いでいたので、いろいろな用意をしていなかった)、腹が、減ったので、屋台のラーメンをとった。

 

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