始めのはじめに

この本は現在六十四歳の著者が小学校六年生の時に書いた「生い立ちの記」を基に書いたものです。当時著者は名古屋市の南部、知多半島の付け根にある大高町に住んでおり、地元の大高小学校では卒業の課題として自分の十二年間の「生い立ちの記」を書くことになっていました。目標は最低でも四百字詰め原稿用紙一五〇枚でした。

今でも手元にあります。二つ折りにされた原稿用紙がしっかり綴じられ、丈夫な表紙がついた冊子です。厚さが四センチほどあります。この小学校は児童の作文を立派な冊子に製本して、本人の卒業記念としたのです。完成したのは一九七〇年(昭和四十五年)二月、卒業式の一か月前です。

私は少し頑張って二五〇枚書きました。題名を『僕の生い立ち』としました。

自分が忘れてしまっていることや、見ていないのでわからない事は、父や母、祖母に聞いて書き加えました。母は日記代わりに家計簿をつけていました。細かい記述がなん十年分も遺っています。当時も著者が忘れてしまったようなことは、その家計簿が助けてくれました。妙に物の値段が細かく記載されているのはそのせいです。

ここに書かれていることは私を含めた家族がその当時理解していた著者の十二年間です。しかしこの冊子は原本に比べて次の点が異なります。

1 、漢字を現在の小学校六年生のレベルに合わせました。これはおもに著者の当時の漢字習得レベルが低かった点を補うためです。

2 、友人たちからの感想文をはぶきました。実は「生い立ちの記」は完成後、担任の先生と数名の友人に読んでもらい、感想文をいただきます。原本にはそれぞれの友人からの原稿用紙二枚分の感想文も添付してあります。著作権などの問題がありますので、これは掲載いたしませんでした。

3 、個人名は仮名です。

4 、一部文章を修正しました。先の漢字の補正もそうですし、意味の分からない文、公開が憚られる部分は修正しました。

5 、記述を追加しました。原本は本人の記録であり、原本の読者の前提は友人と担任の先生、それから家族です。

これらの者が良く知っている内容は、「生い立ちの記」の性質上、記述がありません。この部分を現在の著者が十二歳になった気分で加えました。例えば美容業のあらましは、大人の私が加えたものです。事実を補うことを目的として、こうした追加をしました。全体の二割ほどになります。

6 、この少年の生きた十二年の時代を確認するため、また再理解するため、時代背景を復習した結果を「コラム」として挿入しました。

復習を通して自分の小学生の頃の時代を再確認するだけでなく、その時代が今にどのようにかかわっているのかを少しばかり学んだような気がします。この五十年間に何が起きたのか、なぜ起きたのかを発見するには、五十年間の起点を作る自分が必要だったということでしょうか。

以上です。十二歳の自分にこの冊子を渡したら、どんな感想を持つでしょうか。君は全然変わってないネ、全く変わったネ、どちらですか。どちらが誉め言葉ですか。