僕の生い立ち

六年三組 服部 真

はじめに

ここに僕の生い立ちの記を書いた。題は『僕の生い立ち』である。

はじめ先生から、最低でも百五十枚は書くようにと言われ、びっくり。修学旅行記は三十枚で精いっぱい。その五倍も……。一応目指していたのは、百枚ちょっと。量より質と思っていたのに、どうも考え通りにはいかなかったらしい。まずは読んでみてください。

第一章 こんにちは赤ちゃん

第一部 生まれそう

昭和三十三年ごろのうちの親せき一同は、子どもがいないので、非常にさびしがっていた。しかし、そこへ僕の母が「赤ちゃんが、できた」と飛びこんできた。

はじめての孫ができた母の父(おじいちゃん)は「ほう、それはよかったな、で名前は、どうするんだ」と、母のからだより名前の方を心配していたそうだ。

僕の生みの親である母は、ものごっつい(ものすごく)でっかい腹をかかえてそうじをしていたのだ。そうじなんてことをやったら、腹の中の子が死んでしまうだろうと思う人もいるだろうけど、大じょう夫。ちゃんと僕は生まれた。

母に聞いてみると、一番つらいのはろう下(・・・) のぞう巾がけだったそうだ。腹がつかえたのだろう。

その他、洗たく、すい事、編み物。赤ちゃんができてもふつうのお母さんと同じぐらい働いていたそうだ。これが常識なんだろうか。

父はといえば、赤ちゃんが生まれると言うのにマージャンをしていた。家に帰ってびっくりしたそうだ。言い訳は「マージャンをしている時に生まれた子は元気に育つ」とのこと。このルールを三回守ったというのが父の自慢。

 

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