【前回の記事を読む】今できること、それはエッセイを書くこと――80歳を迎える槐に刻まれた戦争の記憶。現在の世界情勢を見て、彼女は何を思うのか

第1章

定時制高校

担任は、男子生徒を度々真っ赤になって往復ビンタをする嫌な先生だ。怒った時のように赤面し耳まで真っ赤になって槐の申し出を聞いているだけであった。

そこへ、戦争で片耳を失い、ベートーベンに似た学年主任の、音楽のネムノキ先生が「高校は定時制もあるから進学したらどうか」と言ってくれた。母に話すと、「いいよ、夜で大変だね」と申し訳ない顔をした。

入学合否の発表の前日、ネムノキ先生は「君は大丈夫だ」と言ってくれ、その通り合格した槐は、高校に行ける嬉しさで通知を持って中学校に報告に行った。

全日制の合格者は嬉々としていたが、定時制の槐は遠慮して、嬉しさを引っ込めてしまった。

定時制高校の一年生入学は、五〇人一クラスだけで年上の人も数人いた。勉強をしたい人ばかりが集まったようだ。槐は高校の四年間を一日も休まず、中学生と違いこれまでにないほど、好きな物理に化学を始め、苦手な国語や古文も吸収し、一番勉強をした。

母は毎晩槐を駅に迎えに来てくれた。駅の北側は一面田畑が広がり、ホームの灯りが農道を照らしていた。我が家の田の畔を歩き、小川を飛び越すと、玄関の灯りが暗闇に浮かびほっとする。

貧しさのヒエラルヒーの時代に、玄関の灯りは希望の灯台で、暖かく光を放っていた。

やっぱり大学へ行こう

槐の成人式は、一九六四年一月一五日、母校の中学校で催された。この学校は、槐が事務員で当時働いていた職場であった。

成人式のため出勤し、冷え冷えとした会場の講堂で、準備する職員に混じった。事務服の槐が、成人を迎える者とは、誰も思えなかっただろうが、少し寂しい気持ちだった。

舞台の成人式次第を眺め、祝辞のあいさつをする人の名前を黙読した。何故かその時槐は、「やっぱり大学に行こう」と自分を鼓舞していた。物理や化学が好きな槐は、理科系の二部を目指して塾通いをしていたが、年上の槐は挫けそうな日々だったからだ。

成人式の準備は机を拭き記念品のアルバムと印鑑、一袋の紅白饅頭を机に並べ、ショートケーキを配り終えて槐の仕事は終わった。いよいよ開場になり、やってきた同級生が槐に気づきニコッとするので、槐もニコッと主催者面して返した。

成人式を無事終えたその年の三月だった。槐は夜間高校を卒業しても町役場では中学卒業の職員に変わりはなかった。

槐は町役場を退職することを決め、高校卒業歴で就職をすることにした。