はじめに
わたしは槐(えんじゅ)。一九四三年一一月に父親の勤務する茨城県鹿島郡鉾(ほこ)田町の鉾田飛行学校の官舎で生まれました。
その後父親の関係で、東京の初台、そして八王子に続いて日野に疎開し終戦を迎えました。戦後、一家は東京都南多摩地域に自給自足の生活を求め居住しました。そこで槐は三歳から三〇年間暮らしました。
雑木林に囲まれた一軒家で一一人の大家族でした。槐はファーブルの昆虫記が好きで、軒下にすりばち状の穴を掘って隠れている蟻地獄(ウスバカゲロウの幼虫)や、黄色と黒の縞模様の大きな蜘蛛が巣をつくる様子を飽きずに眺めている子どもでした。
兄弟姉妹でチャンバラごっこやかくれんぼ遊びにも夢中でした。学校では無口でクラスに溶け込めない少し変わった生徒だったようです。
小中高校を通して、合理的な生徒と通信簿に書かれました。いわば自然人のように過ごした少女でした。
働きながら学んだ後の、一九七一年四月から、人々を支援するソーシャルワーカーになりました。いろいろな人との出会いがありました……。
戦後の暮らしを複写便箋や日記で残した父と母に、槐の生い立ちを辿りました……。もはや八〇歳も直ぐそこになる槐です。本当に自由になりました。今できること、それはエッセイを書くことでした。
姉の由(よし)さんと、その孫のワカナさんが「本にして、多くの人に読んでもらえるといいね」と背中を押してくれました。
懇意にしている弁護士のユリノキ先生からは、後見人の心情を読ませてほしいと力添えをいただきました。
二〇二二年四月三日、小淵沢は雪まじりの雨でした。その静かな雨音は大地を潤す音でした。ここに登場する人々(仮名)も静かに読者との出会いをお待ちしています。