定時制高校

高校入試は一九五九(昭和三四)年の冬であった。

槐は球技が大好きな生徒であった。泳ぎの上手な長姉や、全校マラソンで優勝した兄と、ソフトボールのキャッチャーで活躍した年子の姉たちは、ここの卒業生だ。槐の下には、次々に入学してくる弟妹たち五人が控えていたのだった。

我が家は農家であったが、一九五五(昭和三〇)年、養豚の餌箱をクレゾールで消毒し、それが原因で豚が全滅した。

その後、父は東京都の準職員になれたが、給料が安くて子どもに教育を受けさせられず知事に昇給を上申したこともあり、我が家が一番苦しい時であった。

槐が中学一年の頃に、兄と父が胸をぶつけ合い、激しく言い合う姿を見た。二人共腕は後ろに組んで殴り合いにならず、父も兄も一八〇センチの上背なので八畳間が小さく見えた。槐はドキキヒヤヒヤであった。

何があったか分からないが、一番貧しい時に、田畑や河原の砂利採取の手伝いで、勉強することもできず、先の望みを失った成績の良かった兄の悔しさだったのだろうか。

それから間もなく、長姉は高校二年、兄は高校一年で退学を余儀なくされ、年子の姉も中卒後に就職し働いていた。槐が高校に進学する頃の進学率は、四割位で、もちろん槐は就職を希望すると担任に申し出た。

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