【前回記事を読む】「母に余計な気遣いをさせないため」父の働き方の奥にあった思いやりに、遼が気づいた瞬間
2章 共同生活者たち
ガッキー君はジロリと横のグッキー君を見つめてから、お皿の脇にあるナイフとフォークを手に取った。
「ドッグはドッグらしく食べたいとは思わないのか? 人間が使っている扱いづらい物を両手に持って食べるのは苦手だよ」
ナイフとフォークを十字に合わせ、カチャカチャと小さな音を立てたガッキー君は不満顔。
「郷に入れば郷に従え。人間界にある格言だ。ドッグの世の中とは異なる習慣でも、ご主人の翔太に合わせた方が良いということだ。テーブルに三人並んで顔を合わせて食べていると、何だか楽しくなるよ」
そう言うとグッキー君は、マヨネーズがたっぷりと乗っかった胸肉をまたフォークで奥歯にグイと運んだ。
「分かったような口をきくな! 僕らはドッグだ。ドッグの誇りはないのか」
ガッキー君の鼻息は荒い。
「テーブルを囲んで食べる夕食が俺の理想なんだよ」
少し不満顔のガッキー君を見つめ翔太は言った。二匹と一人。三人そろって食べる夕食は大切な時間。脂の少ない鶏の胸肉は犬にとって健康食と信じている。ネットを駆使して調べた調理法だ。
木造二階建ての古いアパート。一階に五世帯、二階も五世帯、全十世帯が暮らしている。現在満室状態だ。『琥珀荘』築五十年ほど。このアパートの敷地の周りは椿やツツジで区画されているため季節感が味わえて安田翔太、三十五歳はお気に入りだ。市道に面した一階に翔太とガッキー君、グッキー君の住む部屋がある。
一階の部屋の南側には住戸毎に腰高の柵があり、奥行き三メートルほどの専用庭がある。ここはペットと日光浴をする場所。天気の良い休日は、二匹と一人でブランチを楽しむ場所。
その隣戸境の柵は錆びて所々変色している。二階に続く外階段の鉄部の塗装にも少し錆が浮き出ている所がある。年季の漂っている建物なのだが、住人は誰も文句は言わない。最寄り駅から遠いこともあり、家賃が低く設定されているためだ。
この家賃なら錆くらいはどうでも良い、と思っているのだろう。しかし、大家さんは几帳面な方のようで、敷地内の通路脇の雑草を小まめに抜き取ったり、毎朝ほうきで共用廊下を掃除する音がサッサッと聞こえたりしている。