岡本家は三河国(みかわのくに)を本貫(ほんがん)とする大給松平家譜代給人(きゅうにん)格の家柄である。所謂(いわゆる)、「三河以来の忠臣」で代々藩の要職に就き、安尊の祖父と父も家老の重責を担った名門である。
雄之助の実父は乗馬の名手で藩主の子息らの乗馬指南役を拝命していた。また彼はかの伊能忠敬(いのうただたか)が日本地図作成のために府内周辺を測量に来た際、町奉行としてその宿所に当人を見舞った経歴を持つ人物である。
岡本家居所は、本丸と二の丸を囲む堀の西側にある、上級家臣の屋敷が建ち並ぶ三の丸の一角にあり、その屋敷内に同居する新婚夫婦の部屋が設(しつら)えられた。
お目通りの二日後、太田家の中間(ちゅうげん)が来訪し、明(みょう)昼八ツ(午後一時過ぎ)の訪問を請われた。雄之助は快諾し、中間に鳥目(ちょうもく)(銭、心付け)を渡して見送った。
翌日、雄之助は太田家の門の前で昼八ツの鐘を聞き、少し間(ま)を置いて訪(おとな)いを入れた。客間に通され、火鉢の前に座る雄之助に茶が運ばれて程なく、着流し姿の太田が現れたが、右手に何やら冊子を持っている。先ずは雄之助が頭を下げ、
「本日は番明けのお疲れの中、ご指南の時間を頂き恐縮に存じます」
と、挨拶すると、
「いや、こちらこそ寒い中お呼び立てして申し訳ない」
と、太田が応じた。太田は雄之助に茶を勧めると、自らも一口啜ってから、
「三の丸にずば抜けた英才がおると聞き及んで確かめると、他でもない、そこもとであると当家の中間の爺(じい)から聞き申した。主米殿も立派な跡取りを得て果報者でござる」
と、笑みを浮かべながら雄之助の顔を見た。
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