雄之助は府内藩家老、岡本安尊の実子ではない。安尊には男子がいなかった。

雄之助は町奉行を務める藩士の五男でその俊才ぶりが三の丸で評判となっていたが、雄之助が十五で元服の折に安尊が烏帽子親(えぼしおや)を務めたことが切掛けとなり、その利発さと眉目清秀(びもくせいしゅう)なる相貌(そうぼう)に惹かれた安尊が娘婿にと切望したのである。

雄之助は元服して程なく岡本家への出入りを許された。許嫁(いいなずけ)の安尊の娘美代は雄之助の二つ下であるが、父親似の中高の面立ちで、家付きの娘にありがちな不遜さはなく、気立てのよい躾(しつけ)の行き届いた女子(おなご)であった。

養子候補と身近に接しながら、養父となる安尊は雄之助の観察を怠らなかった。当家の嗣子として、また将来の松平家家老としての資質を見極めるためである。

雄之助はその期待を裏切らず、聡明さを窺(うかが)わせる判断力と、事を厭(いと)わぬ勤勉さや、優しさを示す細(こま)やかな気遣いを見せ、その気骨ある精神と誠実さが安尊(やすたか)からの信頼を獲得した。

今回の藩主への謁見は仕官のお許しに加えて、嗣子養子縁組と婚姻の承認願いを兼ねたものであり、安尊が同席したのもそういった事情からである。雄之助は十八で岡本家の養子となり、安尊の長女美代の婿となって中小姓書役見習いとして出仕の緒に就いた。