【前回記事を読む】携帯電話を落とすことが日常になってきた。ALSがゆっくり進行し、身体にチカラが入らなくなってきたのだ…
2 退化
市川 2012年
学生時代。
右膝の靭帯を伸ばし1ヶ月間、全く走れず、ボールを蹴ることさえ出来ず、私は毎日、部員が使う用具を揃え、ビブスを洗い水を用意し、練習試合ではグラウンドの外から、ライバル部員のシュートミスを願っていた。
男子校でマネージャーというメンバーがいなかったため、マネージャー業は一年と怪我で離脱中の者が率先して行うスタイル。
タイミングが良かったのか、春休みに怪我をし戻って来れたのはゴールデンウィーク前。
私のポジションは、下の代からの台頭はなく、すんなりと元の序列に戻れていた。
そもそもレギュラーではなく、ベンチメンバーだったが。
その高校生以来のリハビリという行為。
私を担当してくれたのはクサマさんという女性であった。
PT(理学療法士)のクサマさんは行く度行く度、毎回マスクをしていて、素顔を決して見せない仮面女子であったが、UKミュージックに精通していて、ブラーやパルプなどの音楽をこよなく愛していた。リハビリを受けに病院に向かう度に、オススメのアーティストを紹介し合うのが日課になっていった。
もう一人は、ST(言語聴覚士)のオオノさんという男性。
私は言語のリハビリという概念を知らずに30年近く生活していたため、驚きであった。
まだこの頃は、発声や飲み込みに問題はなかったものの、いつか来るであろう日に備えて準備という名目で受けることにした。
因みにオオノさんは何故ST?と思うほどウエイトリフティングに没頭している。
そんな真新しい環境。
私の会社での勤務シフトも、病院がある月曜日に固定休を貰い、残りは平日休みになったため、金曜日の深夜や土日でのDJ活動が頻繫には出来なくなり、DJ活動を減らすことになっていった。