【前回記事を読む】(ALSだろ? 知ってたわ)―やっと告げられた「筋萎縮性側索硬化症」。そのとき既に、検査から半年も経っていた。なぜもっと早く…
2 退化
明治通り 2012年
エリザベス女王が空から舞い降り、ミスター・ビーンが、オーケストラの中に紛れ込んではアタフタし、百貨店の婦人服売り場で、買い物している叔母さんみたいになっていたポール・マッカートニーが圧巻のパフォーマンスを披露し、会場全体が、いや世界中が『Hey, Jude』を熱唱している。
そんな度肝を抜く開会式で始まったオリンピックも、気がつけばジョン・レノンの人面図でフィナーレを迎えていた。
新旧の音楽やミュージカルがちりばめられたオリンピックセレモニーに、私は毎晩心酔していった。
そんな夏が秒速で過ぎて行く、思い返せば目まぐるしい2ヶ月だった。
職場では、ただごとではない病名に上司は驚きつつも、現状はまだ業務に差し支えはない。ということで、今まで通りに勤務を続けることになり、私もなんだかんだいって仕事は好きだったので、今まで通りに続けられることを望んだ。
変わったところは、朝の通勤ラッシュを避けるために、午後出勤という超遅番に固定されたくらいか。そのため、連日の深酒が可能になりアルコール摂取量が増えた気がする。
それと病名を告知され、しばらくして、マサミとは別れていた。
お互いが今したいことに貪欲になり過ぎて、両方ともに現実を受け入れられなかったのだろうか。
私は我を通し、彼女も我を通した。それで良かった。
これからの人生は自分で選択していく。お互いに解放することが必要だったんだろう。
7月、私はマサミと別れた後、田町駅近くのマンションに移り住んでおり、この日も渋谷で深夜帯までDJがあり、酒なのか病気の影響なのか、もう把握が出来なくなっていた千鳥足でDJをこなしタクシーで帰宅の途についていた。
その際、運転手はいつもと違うルートを走っていた。いや実際はそのルートが一番早い。
私は毎回敢えて遠回りのルートを伝えて走って貰っていた。何か変化が欲しかったんだろうか、過去の自分と今の自分は違う人間だということを、目からの情報で得たかった。