東日本大震災後、主に宮城県に支援活動に出向くようになりました。

活動を通してたくさんの方とお話をさせていただきました。

家族、友人、同僚、仲間……大切な人たちを震災で亡くされ、家すらも津波で流され仮設住宅で暮らす皆さんに悲壮感は全くなく、むしろ「東京からわざわざありがとう!」と逆に地元野菜を使った手作りの漬物などを用意してくれて、取り留めない話もしつつも、

「私の義母がね、津波で玄関のドアに挟まれてね。私、助けてあげられなかったの。もう津波がすごくて。私は2階に逃げて助かったけれど。すごく嫌なお義母さんだったけど、やっぱり助けられなくて申し訳なくて」

「自分の家(一軒家)が海に流されていくその様子をただ茫然と見るしかできなかった」

「過去の賞状もトロフィーも全部津波に流されちゃったよ。まぁ命だけは残ったけどね」

とポツリとあの日のことを話してくださる場面に遭遇すると言葉を失いました。

 

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