地震の影響で停電しているようでエレベーターも止まってしまっていること。電話回線も切れてしまっていること。ガスも止まっているけれど各家庭の玄関横にあるメーターの復旧ボタンを押せばガスは出る状況であること。情報がご近所さんとの会話から見えてきました。
ガラケーと言われる携帯電話の時代。その携帯電話も「圏外」になってしまい、情報は人から人への情報だけがすべてでした。
あの日、何よりも私の心の支えとなってくれたのは「ラジオ」でした。
東北地方で大きな地震と津波が押し寄せてきている、都内の交通は運転を中止しているという情報は入手できました。
現状が少しだけわかり、日暮れを迎える前に懐中電灯を用意し、停電により炊飯器も稼働できない状況から、キッチンにあった食パンを娘とかじり、ベランダから差し込む今日最後の明かりである夕日と懐中電灯を頼りに生活をしました。
鉄道各社は運転を見合わせ帰宅困難者が街中をぞろぞろと歩く映像は不思議な光景として数日後にテレビで見ました。
停電が復旧をしてテレビをつければ宮城県地方の津波被害の映像に言葉を失いました。
海に漂う無数の家。車。木材。何が起きたのか? 火の海となっている地域の映像。
これから日本はどうなるのだろうか? 追い打ちをかけるように福島第一原子力発電所の水素爆発による放射能の放出。原子力災害。福島県の人たちが大型バスに乗り込み避難をする様子がテレビに映し出されていて、目に見えない放射能の怖さというものを初めて身近に感じた時でした。
2011年3月11日14時46分。三陸沖を震源地にマグニチュード9.0の巨大地震は地震後の大津波によっても大きな被害が生じました。