「専門学校なんか駄目だ! さっさと帰ってきない(きなさい)!」

せっかく行きたいところを見つけたのに、どうして駄目なのだろう……。納得できないまま直江津に戻り家に着くと父は不在で、母と口論になりました。

「ちゃんと勉強しないから、こんなことになるんだ!」

「今更そんなこと言ったって仕方ないでしょ! 行きたいところができたんだからいいじゃない!」

「そんなわけの分からん学校なんて駄目だ! 大学に行かなきゃ駄目だ!」

「大学なんて、行きたくない!」

いつまで経っても平行線。平行線どころか、私の心に今までたまっていた母への怒りが、むらむらと湧き上がってきたのです。

今までも、ヒステリックな母の言動でどんなに家族が苦しい思いをしてきたか……。優しい父に免じて我慢してきたものの、今度ばかりは堪忍袋の緒が切れました。

「こんな母とはもう住めない! 出て行く!」と思い、二階で家出の準備をしていると、玄関から、「栄子さんにお電話ですよ」という、隣のおばさんの声が聞こえてきました。その頃は我が家にまだ電話がなく、隣のお店の電話を借りていたのです。

私の受験結果を心配して電話をかけてきた友人に、「今から家を出る!」と興奮して伝えると、「ちょっと待って!」と引き止められ、話しているうちに、「確かに、お金もないのに家を出てもすぐに行き詰まってしまう……」と思い直し、その後帰ってきた父の説得もあり、母の希望通り大学を再受験することになりました。

といっても、今年はもう間に合わず、また来年受験しなければなりません。ということは一年浪人するということです。その頃は希望の大学に入るために、二浪、三浪する人もいましたが、直江津高校では女子が浪人してまで大学に行くなんてことはほとんどありませんでした。

「どうしてそこまでして四年制大学に行かなきゃならないのか……」

「世間体を気にする母の見栄ではないか……」

母に反発を感じながらも結局東京の予備校に通うことになり、神奈川の教員に採用された長姉と上京して一緒に暮らすことになりました。

その頃はまだ宅配便もなく、炊事道具や布団は数日かかる貨物便で送り、小荷物は国鉄の乗車切符を買うと最寄りの駅まで運んでくれる“チッキ”を利用することにしました。

荷物を送るときにはまだアパートが決まっていなかったので、とりあえず姉の勤務先に送ってあとでアパートに運ぶことにして、“チッキ”は国鉄の町田駅まで取りに行かなければならず、今の時代では考えられないほど面倒臭いことでした。

 

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