【前回記事を読む】「同じ日本人」という漠然とした概念を信じたまま、国家の要職者ですら認識が食い違ったまま突き進んだのが80年前の戦争だった
はじめに
立て直せる見込みのない組織で私が強く感じたのは、文化は毒にも薬にもなるということだった。
特に意識する機会が多かったのは、年齢や地位の高い人が下に純真さや従順さを求める傾向であり、それは単なる個人的な願望の表れではなく、人生経験を積んでいない子供の純真さを愛好する文化を反映したものでもあるらしく、世間一般で認められている文化の型に半ば無意識に従っているために上は下の批判的な言葉を封じやすく、組織全体が肝心な議論のできない状態になっていた。
下が上の判断力を疑わずに素直に従うのを是とする文化は、条件がそろっていれば社会的に有益に作用することも多い。しかし条件を考慮せずに文化や常識に執着すれば、筆者のいた組織のように集団が文化と心中する事態も普通に起こり得る。
人が常識だと思っていることは、意外にもろい。三十年前に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教は国民の多くから異物視されたが、その犯罪者たちと似た性質を下に求める人間は一般社会にも存在しており、普通の人も彼らと文化や常識をある程
度共有していると考えなければ、人と社会の現実は理解できない。
戦後の八十年は、過去に例のない平和と繁栄が実現した時代であった。しかし現代は文明の基本的な条件が変わりつつあり、従来の文化や考え方を固持しているだけでは、社会全体で無理が増えるのは避けられない。
今後も社会を維持していくためには過去の文脈やイメージから離れて多様な現実と向き合い、人間の本質について考えねばならず、その試みの一つの例として私は本書を世に出すことにした。