【前回記事を読む】修飾、誇張、改竄は権力者の常套手段。天武天皇が作成した『日本書紀』は国の正当な史書だが、当時を振り返ると......
第1章 日本民族及び国家の成立
私の国家観は基本的に民族及び統治体制に依拠している。従って、前段に日本民族、後段に国家の成立を概説する。
第2節 国家の成立第
1項 神話由来
献上を待つことなく天武は世を去った。彼の初志を第43代元明天皇(661~721)が継ぎ、稗田阿礼が誦習したものを太安万侶(民部卿)に漢文体で筆録させて完成(712年)したと伝わった。一時、『古事記』は真贋説が浮上したが、太安万侶の墓が十輪寺(真言宗、奈良)で発見されたことで、安万侶の実在が確認された。
構成は3巻からなり、上巻は神代(神話時代)、中巻は初代神武天皇から第15代応神天皇まで、下巻は第16代仁徳天皇から第33代推古天皇までの記事を収め、神話、伝説、歌謡等で構成される。
国史編纂の出典は文献、記載資料ではなく、口伝を記録した経緯を考慮すると、編纂者は天皇の意向を反映する自由度が広く、伝承を史書として自在に改編し、現体制を論理的に担保することが出来た最側近と推測しうる。只、勅命から完成まで30年以上経った原因は国家の揺藍、最初の史書編纂で経験不足、編纂主導者の不在等が影響していた。
閑話休題
神話時代の神代について補足する。日本の紀元は『日本書紀』に記す神武天皇即位の年を皇紀元年(西暦紀元前660)として明治政府(1872)が定めた。
これは中国古代の予言説の讖緯(しんい)説によって作られた神話を参考にしている。これにより、頻用する神代とは、皇紀元年以前を指す日本固有の年譜基準となる。
よくよく考えてみると、『日本書紀』そのものの大部分が神話要因に埋め尽くされ、無理な紀元設定としか言及しようがない。勿論、考証学的に検証された初代天皇の即位した時代でもない。
明治初期になっても、神話に依拠した皇統に頼って、新国家の成立を正統付けようと試みたのである。現在は建国記念日が2月11日で祝日となっているが、紀元前660年に古代日本が建設されたと信じるならば、迷妄としかいいようがない。
因みに、紀元前660年は中国の周代の春秋戦国時代(紀元前770~紀元前255)にあたる。中国史を通覧してみて、私は中国人の文化的智恵が最大に発出されていたのはこの時代と見ている。当時の周は最先進国家として君臨していたので、明治政府は国家成立の時期を周代に合わせた可能性がある。