第一章 プロローグ

遠くに幕末の跫音(きょうおん)が微(かす)かに谺(こだま)し、開明と混乱をもたらす明治の大変革の黎明(れいめい)が山の端を僅(わず)かに薄紅色に染め始めている頃、江戸では文化文政期の享楽的町人文化がその爛熟(らんじゅく)期を迎えていた。

しかし、その華やぎの裏で、外交においては、通商を求めて開国への圧力を強める北方の大国とのいざこざや、近海に出没する外国船への対応に悩まされるなど、長かった統制貿易体制に変革を迫られる兆しが表われ、国内においては、社会構造の行き詰まりに起因する諸問題の発生に苦慮するとともに、度重なる災害や疫病に疲弊する状況であった。

そんな社会情勢の中、九州は豊後(ぶんご)の府内藩(ふないはん)に仕える一人の若い藩士が、不思議な体験をする。

府内藩は二万石余りの国勢であるが、その政庁である城には、小さな藩には不釣り合いとも見える風格があり、その違和感の謎とともに、この総構(そうがま)えで、河口に面した長い帯曲輪(おびぐるわ)が独特の景観を醸す、白雉(はくち)城と呼ばれる美しい城には、創建時の悲しい言い伝えがある。

その伝承の真実に迫ろうとするこの物語は、その真相を知る語り部との奇異なる出逢いを果たすこととなる若い侍が、府内藩へ仕官するところから始まる。

文政六年(一八二三)師走の初旬、岡本雄之助(ゆうのすけ)の中小姓(ちゅうこしょう)出仕に伴う藩主謁見が許された。最も多端な正月を控え、見習い期間を考慮して、年内のお目通りとなった。

雄之助は当藩家老である父安尊(やすたか)とともに裃半袴(かみしもはんばかま)姿で朝五ツ半(午前九時半頃)に登城し、東の丸大書院で藩主のお出ましを待った。

二人が大書院に入って四半時(三十分)ほど経った頃、畳廊下(たたみろうか)の衣擦(きぬず)れの音とともに藩主が小姓(こしょう)一人を従えて現れ、二段の造りとなっている大書院の上段に座った。

今年二十五となった大給(おぎゅう)松平家第八代当主近訓(ちかくに)は、熨斗目(のしめ)小袖に麻裃(あさかみしも)姿である。横の畳廊下に用人役(ようにんやく)と近習(きんじゅ)が控えている。