【前回の記事を読む】大王の宮殿の背後には神々が鎮座される三輪山が聳え、山の麓には箸墓と称される巨大な墳墓が建造されていた
第一話 長老の予言
5 出雲八重垣
「この地に初めて宮殿を建てられた時、その地より雲が立ち上ったといわれる。そこで歌を詠まれた。その歌をお聞かせしよう」
八雲起(やくもた)つ 出雲八重垣(いずもやへがき)
妻籠(つまご)みに 八重垣作(やへがきつく)る
その八重垣(やへがき)を
(引用文献1)
[現代語訳]
雲が幾重にも立ち上がる 八雲起つ出雲の地に
八重の垣根を 妻を籠もらせるために八重垣をこしらえるその八重垣がこれなのだ
洞窟内に朗々と響く、美しい節まわしの歌謡が数回復唱された。小碓たちの心も実にすがすがしく感じられた。この爺の歌を最後に聴いて二人は洞窟を後にした。
第二話 機織り工房の皇女
1 纏向の賑わい
敷地内には、蹈鞴(たたら)を踏んで送風する装置をもつ鍛冶工房があり、高温の火の中で職人たちが汗を流しながら純度の高い鉄を作っていた。
この時代は米や麦など穀物の生産量が増加してきており、農作業に必要な道具である鍬、鋤、鎌、手鎌などの需要が高くなっていた。鋳造された鉄は、これも専門の職人によって、立派な農機具に加工されていた。
また祭礼に必要な土器と埴輪(はにわ)が、全国各地からこの地に運び込まれていた。これらは伊勢、東海、北陸、山陰などで作られたものであった。さらに各地の職人がこの地にやってきて、故郷の様式で土器を窯で焼いて奉納もしていた。
必要とされるものを地方から運んでくる人たち、それで多くの道具を作る職人たち、この街でできたものや各地の物品を地方に運んで利益を得ようとする商人のような人たちなどが宮城の近くに集まり、小屋を建ててごった返していた。
まだ貨幣はなく、物々交換が取引の主体であったが、後の都の賑わいの始まりといえるようなものであった。人々は夜になると、生まれ育った地方の人たち同士が広場に集まり、歌ったり踊ったり、飲み食いしたりで、夜遅くまで賑やかな時を過ごしたのである。
この時代は、新しい日本ができる夜明けのころに相当するのであろうか。この地に集まった人たちは、皆生き生きと輝いていたのである。