【前回記事を読む】権威付けられた高貴な「偉いお医者さま」は、血や膿(=ケガレ)に触れる外科的な手術は行わない。「汚れ仕事」は身分の低い職人が…
第一話 外科医は「医師」ではなかった
―血や膿に触れるのは卑しい仕事?―
医聖ヒポクラテス
古代ギリシャでは、神話や宗教に束縛されずに自然そのものを観察し、そこから物質の根源にある法則を探求しようとする「自然主義哲学」が生まれ、タレス、ピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど多くの天才たちが活躍しました。
ヒポクラテス(紀元前460?‒340?、図1-4)もその一人で、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と経験を重視した客観的な科学へと発展させる第一歩を先導したことで、現代で「医聖」と仰がれています。

彼は多くの優秀な医師・医学者を育て、彼らはピタゴラス学派と呼ばれました。また、彼が医療者の倫理を説いた「ヒポクラテスの誓い」は、現代でも医学生が臨床実習に進む際の「登院式」で読み上げるなど尊ばれているものです。
ただし、この「誓い」にも「結石の手術や妊娠中絶に関与してはならない。そうした仕事は身分の低い職人に任せるように」といった文言が存在しているなどのことから、外科的な処置や手術は、彼が育てた医師たちの仕事には含まれていなかったように思われます。
アレキサンドリアの医学
古代ギリシャの都市国家(ポリス)群は、アテナイとスパルタとの戦争などで次第に衰退に向かい、紀元前4世紀にはマケドニアのアレキサンドロス大王に征服されます。
その後、エジプトで繁栄したプトレマイオス王朝の首都アレキサンドリアでは、70万冊(全て手書き)の蔵書を誇る大図書館を中心に学術が発展します。
多くの医学者が集まり、王家の援助もあって「ヒポクラテス全集」が編纂されました。これに記載された「四体液説」などの理論は、古代ローマの名医ガレノスを通じて西洋医学の源流とも言える位置付けがなされることになります。