【前回記事を読む】ペスト、宗教改革、そして科学の誕生。カトリック教会が求心力を失い、近代への扉が開いたヨーロッパの歩み
第三話 ルネサンスの光の中で
―科学的医療の芽生え―
「人体の美」の見直し
中世のカトリック教会の支配下にあっては、性的誘惑を感じさせる表現は厳しく忌避されていましたから、古代ギリシャ・ローマの古典文化では賛美の対象であった「人体の美」、とりわけきれいな裸体の絵画や彫刻は「見てはならない汚らわしいもの」でした。
当時は裸体そのものも嫌悪すべきもので、人前での脱衣や入浴は否定され、古代ローマで好まれた公衆浴場は完全に姿を消してしまいました。「禁欲」を旨とし、生涯童貞を貫いていた聖職者が指導的な立場にあった社会では、教会が嫌う裸体を表現することは許されなかったのです。
けれども、この時代にはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッティチェリなどの大芸術家が登場します。古典時代の「自然主義的な写実性」と「人間性の尊重」によって「人体の美」が再認識され、素晴らしい裸体画や彫刻が次々に制作されました。
とりわけ、多彩な天才ダ・ヴィンチは「人体の精密さ」の理解なしには「真の美」は表現できないと考えたようで、さまざまな科学的な実験とともに、人体解剖を行い、身体各部の構造のスケッチや機能についての記録図を残しています。
教会が厳禁していた脳も解剖し、「脳の機能は脳室には存在しない」と、それまでの医学界の見解を否定しています。後年発見された「性交断面図」などを見たら、当時の聖職者たちは腰を抜かしたことでしょう。なにしろシスティーナ礼拝堂天井画(ミケランジェロ)の聖人たちなどに下着を書き加えさせたほどですから。
ヴェサリウスの解剖学書
パドヴァ大学教授のアンドレアス・ヴェサリウス(1514‒1564、図3-1)は、この時代としては画期的な教育を行っていました。もはやヒポクラテスやガレノスの文献を読み上げるのではなく、実際の解剖を見せながら講義を行ったのです。
1543年には自らの観察結果に基づいた「人体の構造に関する七つの書」が出版されました。それまでのガレノスの教条の誤りも遠慮なく訂正し、より正確なイラストを示すなど、近代的な解剖学の幕を開ける偉大な業績でした。
彼は教会や保守的な医学者たちから非難を受け、贖罪(しょくざい)のために巡礼に向かう途次、海難事故で死んでしまいますが、「新しい解剖学」は彼の弟子たちによってしっかりと受け継がれていきました。