古代ローマの医師たち
2000年前のローマ帝国の医療は、ギリシャ人の医師たちによって支えらえていました。ローマの貴族や市民たちは、自分自身がからだを動かす仕事を蔑視していましたから、最初は属領となったギリシャなどから技術を持った人びとを奴隷や解放奴隷として働かせていたのです。
しかし、領土を広げる侵略戦争の中での軍医の重要性に気付いたことをきっかけに、医師たちにも市民権が与えられるようになります。
アスクレピオス神殿の医学校で学び、さらにアレキサンドリアでも勉強したガレノス(129‒200?、図1-5)は、ローマで優秀な医療能力を評価され、ついには皇帝の侍医に任じられた名医です。

彼は動物の解剖(ヒトは解剖しなかった)から得られた生理学的知見を基に、500冊以上の著作を残しました。その業績をまとめた「ガレノス全集」は、ヒポクラテスの「四体液説」を発展させたもので、近世に至るまで1000年以上も医師たちの「聖典」と見なされることになります。
こぼれ話 医者の権威?
わずか半世紀前まで「お医者さま」はかなり怖い存在でした。年配の方なら、子どものころに痛い注射を嫌がって「病気を治すためだから我慢しなさい」などと叱られたことがあるはずです。
歯医者さんのムシ歯治療など痛みを伴う処置では抵抗して、身体抑制下で無理やりに施術された子ども時代の経験がある方も少なくはないと思います。なにしろ1960~70年代は「ムシ歯の洪水」の時代でしたからね。
その当時の医者は偉ぶっている人が多く、いろいろと尋ねたいことがあっても「患者は余計なことは知らなくてよい。医者に任せておけ」と言われ、病名も教えてもらえない(著者も「癌(がん)」などの不治の病名は、患者には絶対に教えてはならないと教育されました)のが当り前のことでした。
服装についても同様で、近代に制腐法(感染防御法)が登場して、清潔さを強調する白衣の着用が普及する直前まで、欧米の医師たちは黒いフロックコートの正装で威儀をただして診療していたものでした。
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