「キヨ子、今から赤子を取り出すよ」
父親の実家は養蚕農家で、副業に養豚をしていた。十六歳の時に破傷風に罹り、右肘に障害があり、実家の養豚の手伝いをしていた。
仔豚を何体も取り出した経験があった。仔豚の分娩は、母体を助けるため、速やかに仔豚を取り出す必要がある。
胎内で死産した仔豚を医療用のゴム手袋を装着して、取り出した経験がある。その時の経験が役立つとは、考えもしなかった。父親は、子宮口に手を入れた時、赤子の肩に薬指が届いた。
「赤子の肩を、この薬指に引っかけた時、赤子を子宮口から出せると確信した」としみじみ自分の薬指を見せながら、私に語っていた。
そして、父親はさらに続けて語った。
「胎児の足を持って、子宮口から少し回転させ、ゆっくり引き出した」
父親は、無事に胎児を子宮口から引き出すと、胎児と胎盤の切り離しを裁ち鋏で措置した。臍帯(さいたい)の処置は、木綿糸で縛り、赤子を用意したぼろ切れで、拭いた。
兆半の女将さんが用意したうぶ湯で赤子を洗い背中を叩いたら「オギャー、オギャー」元気な声で初声を上げた。ぐったりした母親の胸元に赤子を抱かせると本能的にわかるのか、母親の乳首に近づき、初乳を吸い出した。
父親は、母親の耳元で「キヨ子、よく頑張った。赤子は元気だ」
母親は、弱々しい声で「父ちゃんありがとう。私と赤子の命を救ってくれて……」
母親の目には、一滴の涙が頬を伝わって流れた。その時のことを思い出しながら「幸一、出産は大変だった。危うく母子ともに死なせるところだった」としみじみと語った。
語りながら父親は、その時のことを思い出して感無量になっていた。私は、明治生まれの不撓 (ふとう)不屈な父親を感じた。
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