医療器具がないので、洋裁に使う裁ち鋏を数本事前に用意していた。竈に薪を入れて火を起こし、大鍋に水を入れて竈の上に載せて煮沸させ、大鍋に、裁ち鋏を入れて消毒して用意していた。

自宅にあるぼろ切れ、端切れ、さらし、金たらいなどを用意して出産時の胎児、胎盤、羊水などの措置に備えていた。

「キヨ子、待っていろ、俺が何とかする!」

母親は、悲鳴を上げていた。自宅の南側にある、肉豆腐が名物の一杯飲み屋「兆半」の女将さん、小島チカコに、母親が産気付いた時にお湯の手配を事前に頼んであった。

「小島さん、女房が産気付いて産婆さんが間に合わない」

「これは大変だ。松さん何か手伝うことがあったら言って!」

「うぶ湯の用意頼む」

「うぶ湯の用意は、私にまかせなさい」

父親は、うぶ湯を兆半の女将さんに頼んだ。兆半の女将さんは、共同井戸の手押しポンプで井戸水をバケツに貯めてから、お店の大鍋で井戸水を沸かした。

父親は、先ほど用意した消毒した裁ち鋏とぼろ布などを用意して、苦しんでいる母親の傍に付いた。母親は悲鳴を上げていた。

母親は「父ちゃん、苦しい!」もがき苦しんで、力み出した。「キヨ子、俺が何とかするから頑張れ」父親は、逆子の胎児を引出す方法を考えた。

子宮口に手を入れて、胎児の体に指が届けば胎児を引き出せると考えた。

「松さん、うぶ湯の用意はできたよ!」と兆半の女将さんが裏口から父親に声を掛けた。

「すまない。感謝する」

「松さん、いいんだヨ、お隣同士だから。それより、奥さんのことが心配だヨ」

兆半の女将さんのねぎらいの言葉に、父親は感謝した。