敵方を味方に
「申し上げます! 敵方大将・後藤又兵衛、討死の由にございます!」
「何い! そは真(まこと)か!」
「我が手勢の者が確かめました!」
「よし! 後藤勢、これにてとどめじゃ! 全軍、一気に押し出せ!」
「はっ!」
「申し上げます! 真田・毛利率いる敵方主力は退却! 敵方は二手に割れ、毛利豊前は敗走、真田左衛門佐(さなださえもんのすけ)は天王寺方面へ転進の由!」
「でかした!」
前線へと出た伊達軍総大将・伊達政宗の元へ、戦況を知らせる使いの者が、次々やってくる。大坂夏の陣は、両軍総勢五万二千余の精鋭が激突し、後世、最大のクライマックスと謳われた「道明寺(どうみょうじ)合戦(かっせん)」に差し掛かっていた。
伊達の鉄砲隊は、三千四百七十丁の火縄銃を装備。片倉小十郎重綱指揮下、敢然と先陣を務めた伊藤肥後信氏や、前田澤兵部少輔といった老将たちの獅子奮迅の活躍で、まずは後藤又兵衛基次の軍勢を包囲し撃破。その後、主力の真田信繁・毛利勝永連合軍を前に、一時は苦戦こそしたものの、ここから徐々に盛り返し、敵方を次々と蹴散らしていった。
この鬼神の如き勢いには、名うての戦上手と恐れられた真田信繁ですらもたまらず、じりじりと引き退かざるを得なかった。
一方、ここ大坂の地で、武将としては新参だった片倉小十郎重綱は、この戦功で「片倉小十郎、あれが鬼の小十郎よ」と名を轟かせ始めていた。
──他方、こちらは、大砲や火縄銃の轟音が遠くから響き渡り、壁が揺らぎ続け、壁土が絶えず落ちてくる大坂城。
一人の奥方が、幼い二人の我が子を抱きかかえながら、部屋の片隅で震えていた。奥方の名は「阿古」といい、父はかつて戦国の世でその名を轟かせた、長宗我部元親である。
「申し上げます! 佐竹様、八尾にてご無念の由にございます……」
「殿……もはやこれまで。この世に未練などあるものか。今わたくしもともに参ります」