【前回の記事を読む】「うっわ、だからあいつ、キムチ臭いんだ」小学校の休み時間、それは唐突に始まったいじめだった。
第一章 靴
【 二 】
草原で女の子と出会い、その子が大人たちに襲われる光景を父に話して一笑に付されたあの日。あの日以来、父と母の関係はぎくしゃくして、けんかの絶えないものに変わってしまった。喧嘩の原因は、おもに私のこと。私が何か言うたびに、そしてまた私の一挙手一投足を捉えて、両親はいさかいを繰り返した。
そもそも自分が家にいていいのか、何もかも分からなくなってきた。
気持ちの逃げ場は、ほぼ何処にも無かった。
「僕がいじめを受けるのは、お父さんとお母さんのせいなんだ。お父さんとお母さんが韓国になんか行ったから、あんな所にいたから、だから僕はいじめられるんだ」
私は、本気でそう考えていた。布団にくるまり、幾度も呟いたものだし、雨戸を締め切った光の差さない自室で、涙が枯れてしまいそうなくらい泣いたこともある。
生まれという自分ではどうにもならない事実。いさかいに明け暮れ、私にまともに向き合おうとしない父と母。弟の白露との語らいはどうにか続いたけれど、それさえも、母との一件が寸断した。
クラスメイトからの無視が酷くなったころ。
ある夏唐突に、母に旅行へ誘われた。
嬉しくて、もう嬉しくて、たまらなくて。清潔感あふれる色遣いに満ちた空港へ、母と共に行くのだ。弟もいなければ、父もいない。母とただ二人きりであることが、何にもまさるご褒美のように思われた。
雲一つない真っ青な空。青の中の真正の青とでもいわれそうなほどに、晴れやかで美しい大空。
あの空を飛行機で飛べば、眼下に見おろす海はさぞ絶景だろう。
もしかすると、窓の外を一群の鳥たちが飛んでいたりして。想像はふくらみ、私は頬を紅潮させた。
空港のロビーで、私は無邪気に母へ尋ねる。
「一体どこに行くの?」
「韓国へ行くの。聖地巡礼をしましょうね」
穏やかな表情で答えた母は、大変嬉しそうな様子である。物柔らかな微笑みだったけれど、私の頭の中に広がっていた楽しい空の旅は、たちまちにして真っ暗なものに変わった。
目の前の光景が一面、朱に染まったかのような激情が込み上げてくる。唇はぶるぶる震えて、私は母に飛び掛かった。
なぜだ! どうしてだ! 私を苦しめる場所へ、どうしてそんなに楽しそうに行けるんだ!!
周囲に起きた旅行客のざわめきさえ耳に届かない。母を行かせたくなくて「いやだ! いやだ!」と叫びながらしゃにむに母を叩いた。
「君、きみ! やめなさい!」
その声が辺りに響いたのは、母を叩き続けて数分も経たない時だった。むやみに広い窓の外。何機もの飛行機が行き交う空港。白銀の機体がぎらつく太陽の光を反射して、目に眩しい。