はじめて学問との接点をもった/大学教養学部時代 

1975年4月に、東京大学教養学部に入学した。

教養学部のある駒場キャンパスは時計台横の桜並木が満開で、新入生の入学を大歓迎してくれているようだった。この桜並木を歩いていると、東大生になったという実感が沸々と湧いてきた。

駒場に通いはじめると、実は運動部から盛んに勧誘された。最初は柔道部だった。

「やあ、君。いい体格をしているな。柔道部に入らないか?」

柔道着を着た先輩たちが実のまわりを取り囲み、柔道部への入部を盛んに勧める。高校時代に柔道の授業があり多少の経験はあったものの、寝技の練習の際に内出血で耳がつぶれてしまうことから、あまり気乗りはしなかったので丁重にお断りした。

柔道部の勧誘が終わると、今度は少林寺拳法部、続いては空手部、ボート部、水泳部と次から次に運動部からの勧誘が続いた。家業で鍛えた上半身の骨格が、運動部の先輩方にはそうとう魅力的に見えたらしい。

そうした勧誘を受けなかったのは、理科系の学生は学生実験の関係で、部活動に参加するのは時間的に厳しかったからだ。

のちに、同級生から、運動部の一部は試験前日でも飲酒したり、麻雀をしたりして、留年者が大量に発生するという情報も耳にした。

浪人しているので、留年はご免だった。くわばらくわばら……である。

 本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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