12月31日(木)
大晦日

静かな年の終わりである。何よりもこのとき、良子が家にいてくれることを感謝する。もし良子がいなかったら、私の心はどれほど空虚で暗いだろう。

25日に17日に受けた大腸ポリープ検査の結果を聞いた。小さいのを一つ取っただけのようである。今までの記録をプリントアウトしてもらった。

最初に受けたのは2008年6月26日で、私が66歳のときである。このときは10個近くを取ったと思う。私はモニター画像を見ていた。

一度にこれ以上は危険があり、何回かに分けてやりましょうと言われた。検体検査の結果、がん細胞が存在したと聞いた。何個かは、内視鏡で取れる限界の大きさだったと聞いた。

事実、標本を見て驚いた。20mmくらいあったと思う(良子の切り取られた腸を見た今、小豆のようなものであるが)。私は最近まで先生が大袈裟に言っていると思っていた。しかしポリープからがんになるケースはあり得たのだった。

健診で潜血反応が陽性だった。横着せず三田病院で精密検査を受けたのが正しかった。今では僥倖だったと思う。

最初は夥しい頻度で切除手術を受けている。2008年6月6日の次は、9月18日、10月29日、翌2009年1月22日、4月23日、8月28日。その後は半年おきとなった。2010年4月20日、9月2日、10月7日。

その後年一度になり現在に至っている。最初の2回は麻酔なしでやったのであるが、その後麻酔をしていた。先日は久しぶりに麻酔なしでやった。随分きれいな内面であった。器具の進歩もあるのだろうが、最初のときほどには苦しくなかった。

これであれば次回からも、麻酔なしでやろうと思う。終わればすぐに帰れる利点もある。28日に「がん研有明病院」であい子と一緒に“がん検診”を受けた。

詳細の結果は出ていないが、胃袋だけはモニタ画面で眺めた。きれいなものであった。先生も検体採取の必要を認めなかった(あい子は組織を取られたそうである)。

29日に、しばらく断っていた酒を再開した。おいしかった。これで体重は徐々に復元していくのだろうが、最小値は69・3kgを指した。70kgを切った数字は記憶にない。20代、あるいは30代前半以来であろう。洗顔時に自分でも頬骨の出っ張りが分かる、あばらも出ている。

「私も50キロを切った」と良子は言った。入院前は59キロあったのが、10キロ痩せたのである。「お父さんも私に付き合うねえ」と言った。

28日、良子は、抗がん剤治療を始めて1週間の状態確認で、一人で病院へ行った。T医院で丸山ワクチンを射ってもらい、その足で病院へ行った。我が家から病院へは、距離は近いのであるがバスがつながっていない。良子は強度の近視で運転ができない。

タクシーはT医院から病院まで1000円、病院から我が家まで同じく1000円とのことである。同じ距離なんやねえ、と笑った。二等辺三角形ということになる。