旅の物うきもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の遷宮おがまんと、又舟にのりて、
蛤のふたみにわかれ行秋ぞ
「おくのほそ道」の長旅の疲れも癒え切らない十日ほどの滞在で、大垣の人々と別れ、遷宮を終えた伊勢神宮を参拝、ここに弟子十人が追いかけてきて、又賑やかな騒ぎとなった。その足で、故郷伊賀上野へ向かうが、その山中詠んだ句
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
十二月二十日京都嵯峨野にある去来の落柿舎に入る。またその年の瀬に、有力な後援者となる大津の智月尼に会う。その場面、
少将のあまの咄や滋賀の雪 芭蕉
あなたは真砂ここはこがらし 智月尼
智月尼は若い頃御所へつとめており、その経歴に敬意をこめた初対面の挨拶。智月尼は、大津の運送業者川井佐衛門に嫁し、子がなく弟の乙訓を養子としていた。芭蕉より十歳年長である。
芭蕉と乙訓は「おくのほそ道」の旅で、金沢で知り合った。以降、智月尼は、湖南時代の二年間はもとより、芭蕉門下一同が、終生支援される事となる。
猿蓑が完成し終えたとき、その中の一文「幻住庵記」の原稿を、智月尼へ記念の贈り物としたことが、伝えられている。
芭蕉の歳末は膳所の草庵に。そこへ門人が次つぎに集まり賑わった。
あられせば網代の氷魚を煮て出さん
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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