トイレから戻る孝太が通路の中ほどで立ち止まった。それを智子は横目で見逃さなかった。何か違和感を感じ取った。智子は気取られぬように、ほかの仲間たちに顔を向け談笑しているように装い孝太を監視した。
ふと孝太が振り向き、続いてトイレから出てきたミナと目配せしていた。二人は言葉を交わすことなく席に戻った。
ほんの一瞬のことだったが、動揺を覚えた智子はすぐに顔を伏せ、心の小波を誰にも気取られないようにした。なぜそうしたかは智子自身にもわからなかった。
トイレから戻ったミナは饒舌になってきた。
「ねえ、ねえ、智子さんに質問!」ミナがいきなり切り出した。
「何?」
「孝太ってさ、高所恐怖症じゃない?」
「え」
「俺もそう思う」タケシが続けた。
「確か昔そうだった気がする。高校の時にさ、夜中に校舎に忍び込んでさ、配管伝って屋上に上がろうとしたけど、孝太だけ嫌がってた」
「高所恐怖症で飛行船に乗るかよ」ほかの友達が冷やかす。
「はい、孝太くんアンサーは?」
「高高度だと関係ないよ、一番怖いのは数十メーターぐらいのとこ」
たわいない会話だが、そんなことより智子は、トイレから戻ったミナがルージュを引き直しているのを発見し気がそぞろになった。
「智子さんは自然主義者だよね」
「なに、自然主義者って? そんなの考えたこともないよ」智子は笑って答えた。
「だけど、食べるもの選んでるでしょ」
「そりゃ、誰だって安心なもの食べたいでしょ」