永ちゃんと私は、出来上がった甘酢和えを囲んで食事しながら最近起きたいろいろなことを語り合った。永ちゃんは、何かボランティアらしいことをしたとかで、大きな公園の清掃活動へ参加した話をする。
ボランティアの経験は私にもあるが、見ず知らずの人が多数集まる場で元気に働くことができるのは素晴らしいことだと思う。私はと言えば、ラファとの暮らしのこと、農家直送の野菜でスープを作ったことを話した。
食事の後に茶を淹れるころには、甘酸っぱい野菜と唐揚げの旨味、そして親友とたくさん話した楽しさから、私は満ち足りた気分になっていた。
話が一段落したところで、永ちゃんはそろそろ帰りたいと言い出した。確かに、彼がやって来てからすでに二時間は経っている。玄関まで送り、互いに手を振り合って別れる。
「じゃあまた。気を付けて」
「おう。料理、美味しかったぜ。またな」
そう言い残して永ちゃんは帰って行った。永ちゃんの背中が見えなくなるまで見送ってから、玄関の戸を閉めた。
「今日こそは、手紙を書かなくちゃな」妹への手紙のことで頭がいっぱいになっていた私は、そそくさと部屋へ戻った。
それから、今も山本先生とのやり取りに使っている筆記用具と便せんを取り出した。テーブルの上に便せんを並べ、それへ妹の名を書き付ける。じつに、久しぶりに書く妹の名である。
書き出しの言葉は迷ったが、手紙文の切出しのマナーに則り、「拝啓」で始めることにした。濃いBの鉛筆が、書こうとする文字を、便せんの紙面へと滑らかに形作る。
「……うーん」
鉛筆を持つ手を止めて一思案である。
父母の出会いのきっかけのことはさておき、私の今を伝えるのに、どうしても言っておかなくてはならない出来事がある。伝えることが叶うなら、書きたいと思っていることはいくつもあった。
「赤裸裸に全部を書くのは難しいだろうな」
多少なりとも、私が生まれ育った韓国でのことを書かなければ、自分たちの出会いのきっかけを父母が隠そうとした理由は知ることができないと思われた。
ぼさぼさに伸びた髪が一筋、瞼に落ちかかってくる。つかの間、眼鏡の上に半分ばかり引っ掛かった髪の向こうに、白い雲のぽつんと浮かぶ空とだだっ広い緑の草原とが重なって見えたように思えた。椅子の背もたれに体を預け、ふぅと一つため息をつく。
書きたいけれど書くことができない。できない気持ちの塊が音や匂いを引き連れて、こちらへ近づいてくるような気配さえするようだ。通常なら気にかけもせず、やり過ごしてしまえる些事だが、私には今「妹に伝える」という明確な目的がある。
次回更新は4月17日(木)、22時の予定です。
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