【前回の記事を読む】「一車線規制…これがお母さんの状態や。」と娘に言った。三車線が二車線になって渋滞。さらに進んで二車線が一車線になると…
第四章 2015年(後)
2015年12月11日(金)
死ぬって、難しいね
昨日は大阪へ行った。割と重要な話があって、協議そのものは日帰りの時間内に収まるものであったが、顧問会計士の先生が帰ったあと更に話したいものが出るかもしれず、1泊の予定をしていた。
午後に大阪から良子に電話し、様子を聞くと、「まあまあ」という。その声音が沈んでいた。仕事は順調に結論が出、私は宿泊をキャンセルし横浜へ戻った。
昨日日帰りして正解であった。帰ったとき良子は既に寝ていたが、「お父さん、今日帰るよ」とあい子が言ったら、「よかった」と答えたそうである。自分の要求をほとんどしない女であるが、帰ってほしかったのであろう。
今日は未明から強い雨が断続的に降り、時折突風が吹いた。近接するM高校のケヤキと銀杏の落葉が、道路を覆った。
9時に風雨の中をT医院へ行った。丸山ワクチンA液を射って頂いた。良子一人では来られなかっただろう。
午後1時が、癒着剥離手術の傷跡の点検であった。私たちは12時に病院へ行った。
11時頃、雨は上がり青空が広がっていた。台風一過の感じであった。初夏を思わせる気温で、湿度も高かった。
「傷は順調に恢復している」ということであった。それは良子も体感として語っていた。
M氏から、喪中ハガキが届いた。奥さまが、「5月の末に大腸がんが見つかり」、「11月21日に他界いたしました」とある。入院もお亡くなりになったことも知っている。
素晴らしい女性だった。あまりに早いお亡くなりに、私たちは驚いた。発見からなくなるまで半年である。
見つかったとき、既に末期だったのだろうか。病院へ行ったら即座に入院手術したと聞いた。それでもダメだったのか。ご葬儀が11月25日に行われ、私は大阪での株主総会、そして良子の緊急手術で横浜へ引き返した日だった。
良子の場合はどうであろうか。みなと赤十字病院に緊急入院したのは9月12日、「横行結腸がん」の手術をしたのは11月2日である。50日余の間隔がある。実にのんびりしている。
悪く取れば間抜けであり、よく取れば、それほどの緊急性がないということである。あるいは完全な手遅れなのか。