「死ぬって難しいね」と良子が言った。

「私は70迄生きたから、もう満足やけど。お父さんに、やりたいことは全部やらせてもらえたし。余り迷惑かけずに死にたいわ」
「迷惑はなんぼかけてもええから、生きてくれ」

私も74年近く生きた。この状態で妻子に看取られ平穏に死んだら、あまりにうますぎると思っていた。戦争をまるで知らない一生は、世界史の中でも稀有なことであろう。何しろ父母以外の死人を見たことがないのである。

まったくの幸運から、経済的にはほぼ裕福であった。自分が努力した訳ではない。商売についての若干のセンスはあったと思う。

これは持って生まれたもので、努力には比例しない。姉という強烈なオーナーに使われて、私自身は時折反抗したが都度ねじ伏せられ、結果として無事な人生を送れた。

「お前がいて、今の私がある。お前がいなくても、別な形で、私は何とかなっただろう。しかしお前は、私がおらんかったらどうにもならんかった」

悔しいけれど姉のその言葉通りであることは、私がよく知っている。姉は私の名付親である。オシメを作り、七五三の袴を縫った。姉であり母であり師であり上司である。どうにもならん。

良子は、お茶、お花、俳句をする。お茶は裏千家「準教授」の資格を持っている。名を「宗良」という。お花も草月流師範で、名を「紅蕾」という。彼女がやっていることに、私は無能である。

私自身は、コンサート・ホール、劇場が主で、クラシック音楽、オペラ、バレエ、歌舞伎、各種演劇を楽しんでいる。一人ではつまらないのであい子に付き合ってもらっている。

良子は自由にやり、私も自由にやってきた。これが平均とは思わないが、かと言って、大金のいるものでもない。

そしてありがたいことに、一貫して、その程度の収入はあったのである。良子との共通の楽しみは「旅」とそれに伴う「食」だった。その共通の楽しみが脅かされている。

一人で旅して、何が面白かろう。一人で食べて、何がおいしかろう。良子が必要だ。

次回更新は4月29日(火)、20時の予定です。

 

【イチオシ記事】朝起きると、背中の激痛と大量の汗。循環器科、消化器内科で検査を受けても病名が確定しない... 一体この病気とは...

【注目記事】どうしてあんなブサイクと妻が...亡き妻の浮気相手をついに発見するも、エリート夫は困惑。

【人気記事】二ヶ月前に被害者宅の庭で行われたバーベキュー。殺された長女の友人も参加していたとの情報が