藩主の直憲はこの時満年齢で十八歳。父直弼の急死の後を受けて、右も左もわからぬ状況の中で藩主の座についたが、これまでは側近たちの提案に従って行動してきた。
しかし彼が藩主となってからの彦根は苦難の連続だった。その苦難が彼を成長させていた。
今藩は右の道を取るか左の道を取るかの岐路に立ち、その選択を任されようとしている。
その責任の重さに押しつぶされそうになっていたが、彼は拳を握りしめ顔面を蒼白にしながらも、決然と顔を上げこう言った。
「余は朝廷にお味方しようと思う」
彼が言ったのはその一言だけだったが、それで十分だった。その言葉に全員が「ハッ」と頭を下げた。
家老の一人貫名筑後が進み出た。彼は直弼の庶兄で家老の中野家に養子に出されたが、直弼が彼を独立させ貫名家を創立させて家老の一人としていた。直憲の伯父に当たる人物だった。
「殿、よくぞ申された。殿のご意思が示された以上、藩として揺らぎなく一丸となってこの難局を乗り切りましよう。のう、木俣殿。それでよいな」
「もちろんでござる。殿のご決意を伺った以上、殿の家来である我らのなすべきことは、その道に沿って全員一丸となってまい進することのみ。皆の衆、異存はあるまいな」
再び一同は、「ハハッ」と頭を下げた。
…………
徳川家譜代筆頭大名の彦根藩井伊家が徳川家に反旗を翻した瞬間だった。