【前回の記事を読む】親徳川派は約六割、新政府側は約四割と真二つに割れている彦根藩。藩論を統一するための会議を開くことになり…
序 裏切り
筆頭家老の木俣がまず口火を切った。
「今、徳川家は未曽有の難局に直面しておられる。わが藩は権現様の時代より徳川四天王の一人と言われた直政様を藩祖として爾来徳川家の譜代筆頭として徳川家にお仕えしてきた藩である。徳川家がお困りになっておられるこの時に、わが藩が先頭に立って徳川家のために戦わずしては、井伊家の歴史に泥を塗ることになろう」
すると中老で軍監の岡本半介が言った。
「今、御所を占拠している諸藩の中には、越前福井藩のように徳川親藩もおり、土佐の山内容堂公は徳川慶喜公を中心とした新政府を考えておられる方だ。戦いとなれば、薩長を中心としてこれに味方する諸藩の脱藩浪人たちが相手となろうが、徳川家の陸軍も海軍も薩長をはるかにしのぐ力を持っている。
木俣様が言われた筋論は当然ながら、軍事力を分析してみれば、徳川軍の勝利は間違いない。徳川家が本気で戦えば間違いなく徳川家が勝利するだろう。一時の流行にのって新政府に肩入れすれば、結果として十万石の減知だけではすまない。わが藩の滅亡にもつながる恐れがある」
「恐れながら」と藩内の勤皇派の首領格である渋谷鰡太郎が言った。
「幕府は天子様から委任されて統治を行ってきたのであり、天子様あっての幕府でした。我々にとっては天子様は父であり、徳川家は母でありますが、父母が喧嘩をした場合、どちらのお味方をすべきでありましょうか。子としては父をお助けしなければならない。母の恩に報ゆるには後にいくらでも方策がありましょう」
家老新野左馬介と評定加役の渡辺九郎左衛門が渋谷の説に同意してそれぞれ意見を述べた。これに対して徳川家を守るべきだとの意見が方々から上がった。予想どおり会議は紛糾した。会議の流れはどちらになるとも決しかねて、いつまでも堂々巡りの議論を繰り返していた。すると末席にいた田部全蔵と大東義徹が同時に立ちあがり大声を上げた。
「いつまで愚にもつかない議論を続けていれば気が済むのか。政権を返上した慶喜について行く必要はない。四の五の言い募るならば私がお相手つかまつる」
と今にも刀を抜かんばかりの形相で呶鳴った。
「なにを!」
「なまいきな!」
とあちこちから数人の中堅藩士が立ちあがって、今にもつかみ合いの喧嘩が起こりそうになった。田部も大東も近頃足軽から士分格に取り上げられた勤皇派である至誠会の同志だった。
「まて! しずまれ!」