【前回の記事を読む】武士として命を賭けて行動しなければならない時、いったい誰を選ぶのか……? 忠を取るか孝を取るかの二択が迫られる。

序 裏切り

「岡本様は徳川家が本気を出せば、戦力的には徳川家の方が優れているから、徳川が勝利するだろうと言われました。私もそのとおりだと思います。

しかし、問題はそこにあります。徳川方が本気になるかどうか、という点にあります。

ご宗家の慶喜様は水戸のご出身であり、骨の髄まで尊王の姿勢にどっぷりつかっておられる。

これまでの慶喜様の言動をみていても常にそうでした。その慶喜様が朝廷に本気で弓を引かれるでしょうか。御所を火の海にしてまでも朝廷と闘おうとなさるでしょうか。

朝敵となるのを最も嫌がるのは旧幕府内において慶喜様が随一でありましょう。大将がそのような姿勢であれば、部下の軍隊が一つになって戦えるでしょうか。

徳川方の弱点はまさにそこにあります。一部のものは朝廷に槍を向けるかもしれませんが、徳川家全体としてはそうなりますまい」

こう言って彼は座った。しばらく一座は水を打ったように静かになり、誰も発言するものがいなかった。やがて岡本半介が独り言のように呟いた。

「なるほど、田中の言うとおりかもしれぬ。慶喜様は朝敵になるのをお避けになるかも知れぬ」

岡本の近くにいた一人の藩士がそれを聞いて発言した。

「田中殿の言うとおり、ご主君のために命を捨てるのが武士の道である。それならば、お殿様のご意思が奈辺にあるか知りたい」

「そうだ、お殿様のお考えをお示しください」

方々から「殿!」「殿!」という声が上がった。