私には承認以外の選択肢はなかった。イレウス管を良子が拒否し、手術もしなければ、良子は死ぬ。イレウス管挿入治療は、良子は私たちに弱音を一切吐かなかったけれど、余程苦しいものであったらしい。
辛かったんだなと私は初めて気付いた。本当の痛みは、本人にしか分からないのだ。
私は株主総会での自分の役目を手短に果たし、あい子と共に横浜へ帰った。帰りの新幹線車中でずっと考えた。何か、間違いがあったのではなかろうか?
当初の「横浜市救急医療センター」は致し方ないであろう。ここは応急処置の施設である。良子が腸の閉塞感を訴え、それが消えたのだから、この施設の役割は果たし次のO医院はどうであろうか? 触診しなかったのか。しなかったなら論外であるが、触診して、大腸がんの疑いを持てなかったのだろうか。
それは東邦大学付属病院も同じである。全体検査を良子がしなくて良いと言ったらしいが、それはそれとして、大腸がんの疑いは持たなかったのだろうか。
みなと赤十字病院については、たとえ“シルバーウィーク”を挟んでいたとはいえ、9月12日の最初の入院から11月2日の手術まで、50日を要している。これが普通なのだろうか。
途中で「がん研有明病院」でセカンド・オピニオンを受けた。「がん研」へ乗り換えた方が良かったのではないか。しかし「がん研」でも腸閉塞の発生可能性については話していた。がん研であったなら、腸閉塞が起きなかったと言えるだろうか。
病院に着いたのは20時少し前だった。手術は16時30分に始まったとナースステーションで聞いた。私たちが到着した時点で、既に3時間半を経過していた。結局21時40分に案内され、集中治療室(ICU)で横たわる良子を見た。良子は朦朧とした状態で、私たちを認識したのかどうか、分からなかった。
先生の説明では、腸の切断には至らず、腸が癒着(おなかの内壁と?)した部分を剥がした、ということだった。腹腔鏡下で行われたのであるが、これはこれで難しい、危険な手術だったのだろうと思う。
腸をプスッとやってしまえば、直ちに開腹手術に移らなければならない。その際に“ショック死”のようなことも起こりうると、インターネット情報にあったような気がする(結局は開腹したと、あとで聞いた)。私たちは長居しても本人を疲れさせるので、ほとんど顔を見ただけで、病院を辞去した。
次回更新は4月22日(火)、20時の予定です。
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