ストレーザの人々の反応は様々だった。若い連中は笑い話にして面白がったが、大人たちは顔をしかめ、話題にしたがらなかった。

アンナ先生はこともなげに言った。

「マリファナ・パーティーくらいで教会をクビになるなんて、大した罪でもないというのに。ペドフィル(性的児童虐待)に比べたら微罪だわ」

イタリアの若者は多くが宗教に無関心である。日本の若者とその点似通っている。それでもイタリア人は子供が生まれたら教会で洗礼式を執り行うし、結婚式も教会でするのが大半だ。

年齢が進んで親しい人を見送ることが多くなると多くの人は花を持って教会の墓地にお参りする。好むと好まざるとに関わらずカトリックの持つ力と矛盾に多くのイタリア人は向き合わねばならない。

たとえば近年頻りに取り上げられ、スキャンダルになっているペドフィル(児童性的虐待)の問題だ。この問題は長い間事件の被害者の間でささやかれ続けながら、教皇庁は知らぬ顔を決め込んでいた。

今の教皇の前任者である教皇、故ベネディクト十八世(イタリアではパパ・ラツィンガーと呼ばれている)はバチカンに来る前はドイツのミュンヘンの大司教だった。

その大司教時代に彼の教区で司教を務めた神父にペドフィルの疑惑が囁かれた。その被害者だという人々も名乗りを上げた。

だがラツィンガー大司教は疑惑を握りつぶしてしまったという噂だ。問題の神父は何もなかったかのように任期を勤め上げ、高位の聖職者にふさわしい荘厳な葬儀のもとに人生を終えた。

もしあの時、大司教がその神父の罪を認めていたならば?――被害者は救済されたかもしれないが、ラツィンガーが教皇になることは決してなかっただろう。

 

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