ラーゴ ―北の湖―
*登場人物*
川崎まひる(私) オペラ歌手を目指すミラノの音楽学院学生
アンナ・ロンバルディーニ 声楽家。音楽学院名誉教授
ボリス・スミルノフ ロシアから亡命してきたデジタル技術者
アントニオ・グリマルディ ミラノ警察署刑事
ジャック・クチンスキー アメリカ人。CIA係官
レジナルド・ボールドウィン アメリカ人。ランサムウエアの仲介人
チーホノフ、ナザロフ、ホドルコフスキー ロシア軍人
ムスタファ、オマー イタリア在住の不法就労者
グラツィエーラ アンナ先生のコック
ステファノ アンナ先生の運転手
井原ユキコ 声楽家。まひるの友人
セルジオ ピアニスト。まひるの友人
カテリーナ ボリスの元交際相手
プロローグ
――その日、ミラノ・リナーテ空港はいつも通りの混み方だった。六月の初め、まだ本格的な観光シーズンまでは少しある。しかしコロナウイルス・パンデミックのせいで、イタリアは最大の産業である観光客をここ三年もの間奪われて、今年こそ巻き返しを図りたいところだった。
その男は空港の入国審査を受ける時から態度がピリピリしていた。ジーンズのジャケットとパンツ、シャツはカーキ色の軍隊調の厚手のシャツである。男は色白で体に刺青はなく、若い退役軍人のような雰囲気だった。
しかし髪が伸びているところから見ると、軍隊を退役したとしても相当時間が経っているに違いない。荷物は薄手の黒のバッグ二個。始終周囲を見回し、何かおかしなことはないか、一人一人観察している。何かあれば一気に駆けだしそうな、張り詰めた緊張感が男を包んでいる。