第一章

アンナ先生の家

アンナ先生は私の声楽の先生である。年は七十二歳。現役の舞台は引退しているが、昔はソプラノ歌手として活躍していた。私は先生に個人的に声楽を学んでいる。

私はアンナ先生のDVDを持っている。先生が歌手として全盛期だった三十代半ばから四十代後半、即ち一九八〇~九〇年代にかけて、世界中の劇場で『トゥーランドット』や、『カルメン』の主役を歌っていたころのものだ。

アンナ先生はイタリア人女性としては背が高く、肥ってもいなくて実際の年齢よりもずっと若く見える。自宅の壁に飾ってある先生の若いころの舞台姿の写真を拝見すると、現役時代はとても美しかった。

今でもきれいな老婦人で、おしゃれである。でも五十代の初めに心臓が弱いことが分かり、舞台で歌うことを諦めたということだ。それでも声楽の指導で楽譜のパートを歌ってみせる時は、七十歳を越えていても驚くような艶のあるきれいな声が出て、さすがと思わせるものがある。

五十代半ばから母校であるミラノのヴェルディ音楽学院(コンセルヴァトーレ)で、もっぱら弟子の指導に力を入れるようになった。音楽学院は六十五歳で退職した。

私の名は川崎まひる。昔から先生のファンだった。私は子供の時はピアノを習っていた。声楽を始めたころは日本の音楽系高校に入りたてで、先生は遠い雲の上の存在だった。それがミラノまで声楽の勉強に来て、その憧れの先生の教えを受けることになったのだから夢みたいな話だ。

先生は音楽学院を退職してからも弟子を個人的にとっていて、このころは三、四人くらいいたと思う。私が先生のレッスンを受けることを許されて、初めて先生の前に立った時には足が震えて困った。

今では少し馴れてきてそんなことはなくなったが。ミラノでは在籍中の音楽学院に音声学の先生が別にいるので、アンナ先生のレッスンは週一回で、ミラノの中心(チェントロ)にある高級アパート街の先生の自宅に通っている。

アンナ先生が亡くなったご主人と暮らしていたというミラノのアパートは、アンティーク調でどちらかというと暗い雰囲気の家である。家具や壁の絵など、どれも風格があり、どっしりとしている。

先生は冬の間はそこに住んでいる。だが夏になるとミラノ近郊にある湖水地方の景勝地の一つ、マッジョーレ湖畔に避暑に出掛ける。