第一章

ストレーザ点描

ストレーザの音楽祭は長い歴史があり、今年で六十一回目である。Covid‐19の時を除いて音楽祭は毎年六月終わりから九月初めまで開催され、世界的に評価の高い一流の音楽家もやってくる。

アンナ先生には音楽行事の名誉理事として、これらのコンサートの招待状が届く。先生はコンサートには決まって知り合いの男性やご夫婦と一緒に行く。エスコートの男性は先生の知り合いの音楽関係者だったり、どんな関わりかよく分からない若い男性だったりする。先生ほどの人がエスコートなしでコンサートに行くことはあり得ないのだ。

とある夕べに湖の中の島、イゾラベッラのナポレオンゆかりの宮殿でコンサートが開かれた。コンサートは八時半開演で、着飾った聴衆は船着き場からチャーターされた臨時便の船に乗り、揺られながらコンサート会場まで運ばれていった。

アンナ先生は友人のご夫婦と一緒だった。演奏会場は宮殿の細長いホールで、自由席だったので私は先生と連れのご夫婦に席を取ってあげた。
演目はバイオリン・コンチェルトだった。

コンサートがはねると、私たちは再び船でストレーザの船着き場に戻った。帰りの船の中はぼんやりとライトアップされた島の夜景を眺めながら、いい音楽に触れた後の幸せな空気に満たされていた。

先生の連れのご夫婦はその夜は先生の家に泊まるとかで、私は彼らがステファノのタクシーに乗り込み、遠ざかるまで見送り、それから滞在している宿へ戻った。

何と言ったらいいだろうか――ただその場にいられるというだけでそこはかとなく湧いてくる何とも言えない幸福感。それは天気のいい朝に湖岸を散歩する時、夕方真っ赤に燃える夕焼け雲を見上げる時、雨上がりの雲の上に虹が二重に半円形を描いているのを眺める時、その時々の何とも言えない充足感に共通する感情である。

ここにいられるだけでもイタリアに来た甲斐があった。私は満たされて幸せだった。こんな時間がこれからもずっと続きますように――。

ストレーザの南西方向にある丘の上にカルチアーノという名の村(フラツィオーネ)がある。

カルチアーノは丘の麓に張り付いた人口三百人くらいの可愛い村で、昔はひなびた漁村だった。村には教会が二つある。村の上の教会は古くて小さいが、下の教会は湖を見下ろす絶好のロケーションで、この村にしては不釣り合いなほど大きくて、会衆(かいしゅう)も二百人くらいは入りそうである。でもそこには決まった神父さんがいないということだった。こんないい場所にあるのに勿体ない。