第一章

アンナ先生の家

でも最近はオペラ界もダイバーシティを重要視するようになった。メトロポリタン・オペラでもアジア系歌手や、黒人歌手が『ポギーとベス』以外でも主役を務めるようになり、世の中も変わってきた(それでも欧米の劇場で見る蝶々夫人のキモノの着付けは相変わらず変てこだ)。日本人の私だってグランド・オペラの主役が回ってこないと誰が言い切れるだろうか?

私は日本の音大で首席で卒業だったし(ただし海外ではそんなことは通用しないことは嫌というほど思い知った)、幸いこっちでの成績も悪くない。

ミラノのスカラ座やヴェネツィアのフェニーチェ劇場とはいかなくても、イタリアの都市のどこかで『椿姫』のヴィオレッタや『ルチア』を歌えたらどんなにいいだろう。

或いは全編ラテン語で難解至極なカール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』のソプラノを歌う――RAI(イタリアの国営放送)で見たことがある。夏の夕べ、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院がうす紫色の夕闇に包まれていく中での、うっとりするようなコンサート。

ああいうチャンスに恵まれるのは一生に一度あるかどうかだ。もしもそんな運が自分に回ってきたら? そうなれたら何も要らない。夢だけはどこまでも広がっていく。

二十三歳の私は若くて一途だった。

ストレーザ点描

この町から見るマッジョーレ湖は東の方向に面しており、朝日は見えるが沈む入日は後ろの山に遮られて見えない。晴れた日にはスイスの方角に、わずかながら夕焼けを眺めることが出来る。そこにたまたま雲があると、血のような真っ赤な色に染まることがあった。

夜はよく雷が鳴った。湖を流れる気流のせいで雷雲が発生し、にわか雨をもたらす。真夏の一時期はほとんど毎晩雷雨だった。私の部屋からは湖は見えなかったが、アンナ先生は一人であの家で雷を聞いているのだろうか。

心細くないのかしら――いえ、ネコがいるのだったわ。ネコたちが役に立つかどうかはともかく、誰もいないよりはましかも知れない。

ある夕方のことだ。

レッスンから戻って、いつものように夕食前のひと時、湖畔沿いをぶらついていると、色の浅黒いアジア系の中年の気のよさそうな男性に、いきなり日本語で声を掛けられた。

「日本の方ですか?」

私がそうだとうなずくと、彼は「二十年ほど前に日本で働いていた」と言う。でもあれから時間が経って今は日本語は忘れてしまった。後はイタリア語の会話になった。