一度アンナ先生にそう言うと、先生は顔を曇らせ、以前は夏によく結婚式をしていたが事情があって出来なくなったと言った。先生はそのいきさつをあまり私に話したくなさそうだった。
ストレーザに来てから十日ほど経ったある日――後で確かめると七月十六日のことだ。その日はレッスンのない日だったのでそのカルチアーノの村に散歩に出掛けた。見晴らしのいい教会から湖を眺めようと思いついたのだ。
上の教会から少し下ったところで、何やら賑やかな音楽が聞こえてきた。見ると村の郵便局の裏にある幼稚園で人々が派手な音楽を鳴らして楽しそうに踊っているではないか。
何事かと幼稚園の庭をのぞくと女性たちが〝おいでおいで〟して私を呼んでいる。
呼ばれるままに庭に入ると、手招きで一緒に踊ろうという。庭の真ん中にはマリアの像が飾られている。頭に王冠を載せ、飾りの付いた三角形のマントを羽織った小さくて可愛いマドンナである。そのマントは赤、オレンジ、黄色などの花で飾られ、明るくて南国風である。
踊っているのはペルー人で、その日はペルーの船乗りたちの守り神であるカリメロのマドンナのお祭りだという。後で調べるとカリメロのマドンナはペルーのみならず、スペインを発祥の地として南米全体の船乗りたちに信仰されているマドンナとのことだった。
聞くと女性たちはほとんど全員がヘルパー(イタリア語で〝バダンテ〟と呼ぶ)をしているという。老人のいる家庭で通いか住み込みで面倒を見ている。夏のこの日、ペルーのマドンナの聖日に近在の村から集まって一日中歌ったり踊ったりしているのだ。中に男性がいるので聞くと夫婦でイタリアに出稼ぎに来たという。
イタリアは日本に負けないほど高齢化が進んでいる。しかも出生率がヨーロッパの中でもとりわけ低く、老人の世話をする人手がない。日本と違うところはそのヘルパーたちのほとんどが外国人であり、斡旋業者を通してイタリアの各家庭に個人的に雇われているということである。外国人を雇い入れるのに特別な許可は要らない。各家庭が身元引受人になるならば自由に働けるシステムになっている。
彼らイタリアで働くヘルパーの多くが東欧や南米から来ていることは、双方に取って好都合である。ヘルパーたちも、面倒を見てもらうイタリアの老人たちも、カトリックで宗教的な違和感がないからである。いろいろ問題を起こしている日本の技能実習制度の方がよっぽど弊害がある。
私は勧められるままにペルーの人々の歌と踊りに手を叩いて調子を合わせながら、ヨーロッパの複雑な人種構成に思いを致さずにはいられなかった。
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