【前回記事を読む】コンサートと夜景の余韻に浸りながら幸せを噛みしめる。そんな中、後日出会ったペルー人に……?

第一章

ストレーザ点描

カルチアーノの教区で起こったことをアンナ先生が話してくれたのは歌のレッスンが終わって先生の家の前庭でコーヒータイムを一緒に過ごしていた時のことだった。

カルチアーノの下の教会は村人が十五人も入れば一杯になってしまう古い教会を一新するべく、五十年ほど前に村人の寄金で建てられた。熱心な寄付活動のお陰で建ったのは村人が全員入れそうな立派な教会だった。

だが村の司祭は高齢で天国に片足をかけたような歳だった。その司祭が亡くなり、三十代後半の若い司祭が赴任してきた時は村人あげて喜んだ。

名前はドン・シルベストロという。何でも大晦日の聖シルベストロの日に生まれたとのことだった。

子供たちは新しい司祭をドン・シルビーと呼んですぐになついた。北イタリアのベルガモの名家の出身で、説教は面白く、サッカーは〝ユーベ〟(トリノの名門チーム・ユベントス)のファンだった。

村の司祭館は前庭が広かったので、ドン・シルビーは夏休みになるとテントを張り、子供たちに球技やゲームをさせて楽しませた。

司祭が若返って今まで中止になっていた数々の行事が復活した。復活祭やクリスマスはもちろんのこと、聖母被昇天祭の八月十五日にはこの村独特の行事も復活した。主に南欧や南米で見受けられる聖母信仰はカトリック独特の習慣である。

日暮れになると聖母像を教会から運び出して湖岸にお祭りする。ドン・シルビー自ら聖なる松明を押し立てて子供たちと自転車で教会の坂から船着き場まで一気に走り降りる。